結婚して30年が過ぎた。当時58才だった主人の母は88歳となった。
元気に教会長の御用をつとめていた母も両足の大腿骨骨折を機に介護が必要となり、4年ほど前からは大半の日々を施設でお世話になっていた。しかしこの度の感染症の蔓延で直接会うことも叶わなくなり、いつ、前の生活に戻れるかの見通しすら立たない状況に私たちは決断をした。
施設を退所して在宅介護をさせてもらおう。
新しい生活が始まった。
覚悟はしていたものの生活環境は激変した。
食事、排泄、入浴、睡眠、服薬、室温等々、全てにおいて管理された施設での生活から
教会生活へと移り、母の戸惑いも想像に余りある。
しかし母の好きな甘い物やコーヒーなど時間など気にせず
いただける。子どもや孫やひ孫にも会ってふれあえる。コロナ渦なので最大限の注意を払いながらではあるが施設では叶わない時間を過ごしている。
私は夜間、母の側で寝ている。ある夜、母の大きな声で飛び起きた。あしきをはろうてたすけたまえ天理王命と繰り返しているのである。
寝言だったので起こさずに見守った。
ほとんど言葉を発することのなくなった母の声に驚いた。
毎日朝夕のおつとめの音、毎日のおさづけの取り次ぎに母の中の忘れかけていた記憶が呼び戻されたのか。どうかはわからない。
思えば教会に生まれ教会で育ち、教会に嫁ぎ今に至る母の人生におつとめは原点なのかも知れない。
ある日、車椅子に座る母の手が動いている。
両手を合わせ、くるりと手首を回し…おつとめをしていたのである。
私は背後からそれを見ていたがいつまでも見ていたいほどとても美しい姿であった。
この場所に帰ってきてもらって良かった。
心からそう思った。
人生の時間がどれくらいあるのか誰にもわからない。
明日生きているかさえ老いも若きもわからない。
全ての人の魂は来生に繋がると教えていただく。人生の集大成の晩年を生かされている母のいのちの時間をできるだけ笑顔と優しさで埋めてあげたい。
私ならこうされたら嫌だ。こうしてもらったら嬉しい。想像力をフル回転させながら、時に的外れもあるが、できるだけ笑い飛ばして楽しい毎日を過ごしていきたい。
会長さんや子どもたちや親族に大きな心で見守ってもらい時に手伝ってもらうからこその毎日であることの感謝を忘れずに私のいのちの時間も輝かせていきたい。
神奈川県在住 教会長夫人R
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