令和3年9月25日、ひのきしんスクールシンポジウム「今、改めて“おたすけ”を考える ~コロナの時代を思案し、動き出す~」を受講させてもらいました。YouTubeによるリモート受講でしたが、実際の会場にいるのと同じように受講させてもらいました。
まず、20分程の六つの事例をまとめたビデオを視聴しました。
コロナ禍でも続けていること、神名流し、路傍講演などの事例や、布教の家の活動を変えた事、海外で医療ようぼくとして活躍している人などが紹介されまた。
この事例の中で、直接おたすけにつながらないかもしれないが、長年続けたことにより、一人は身上をたすかり令和3年9月26日教会長の任命となり、一人は長年子供が出来なかったのが、女の子が授かり医療ようぼくとして活躍している。
エピソード
交通事故で重体になった時に、平野知一先生のおさづけで、脳波が反応した。
飾東の大教会長さんの言葉を素直に受け、パリのリュクサンブール公園で、フランス語で路傍講演を続けたら、子供のご守護を頂いた。
コロナ禍でやり方を変えたことにより、つながりが拡がった事例の2人を交えて、パネルディスカッションが行われました。
2つの事例の紹介
こども食堂の事例 加古大教会 福本大介氏(兵南分教会長)
コロナ前はこども食堂をやっていた。スタッフはみな教内の人で、3~4ヶ月に1回の開催、参加者は30名~60名。
コロナになってこども食堂が出来なくなったので、お弁当無料配布を行うことにした。食材を提供してくれる企業や団体とつながりが出来、また調理や配達をしてくれるスタッフとして、教外の人ともつながりが出来た。
支援の形によって、内容や頻度を変えている。
弁当の配布から、フードパントリー(食材無料提供)、イベント・学習支援(地元の大学とのつながり)へと活動を広げている。
また、たすけあい弁当という、困っている家庭におかずや弁当をおすそ分けする活動。おかずや弁当を作ってくれる人(活動サポーター)を募集している。現在30名くらいいる。
活動サポーターは、今まで支援を受けていた人がなることがある。「たすかりたい」から「たすけたい」へ。
「こども食堂の手伝い」→「活動サポーター」→「教会参拝」→「月次祭のおつとめ奉仕」→「おぢばがえり・別席」と、このようにつなげていきたい。
福本さんは言います、私には得意なものは何もありません。でも、何もない事が私の徳分だと思っています。
SNSでの呼びかけ 郡山大教会 浅野治香氏(攝央分教会ようぼく)
女子青年活動は何かと悩んでいた時に、婦人会第29回女子青年大会での会長様の「女性は諭し合いの道が大切なんだと、身をもって感じています」と云うお言葉を聞かせてもらい、それを活動の芯にする。
ところが、コロナが始まり集まって活動することが出来なくなった。活動を止めてはいけないと思い、出来ることからと思いマスク作りを行った。そして、集まらなくても諭し合いが出来る、SNSのオンライン活動へと進む。
オンライン活動では、ただただこの道を好きになってもらいたい、と云う思いから、この道が本当に好きな少し先を行く先輩に話をしてもらい、質問タイムを設ける。その後、その先輩には退席してもらい、諭し合いタイムを設ける。
諭し合いは、みんなと一緒に、考え方を天の定規に合わせていくことだと思う。
こんな素晴らしい事は教内だけではもったいないと、教外の人にも声をかける。現在の参加者は、教内70名、教外80名。SNSの良さは、教外の人にも気軽に声を掛けることが出来ること。
浅野さんは言います、私はこのおみちが大好きなんです。だから、おみちの良さを多くの人に伝えたいのです。
最後に、講師の永尾教昭先生のお話がありました。
路傍講演や神名流し、ゴミ拾いが直接おたすけに繋がらないかもしれないが、続けて行くことがおたすけの理づくりになる。教祖は20年にわたり施しを続けられたが、それで信者になった人はいない。でも、その後多くの信者が出来ている。
たすける人とたすかる人の線引きはないのじゃないか。
教外の人におみちの教えを伝える事と、おみちの人同士の諭し合いは、車の両輪である。片方が小さいと、同じところをグルグル回るだけだ。
簡単ですが、まとめてみました。
私が感じたことは、
親の声を素直に聞き、心定めをし、実行することが御守護につながるのだと思う。
マイナスをプラスに変える力は、ゆるぎない信仰信念だと思う。
信仰信念は、身上や事情によって培われるものだと思う。福本さんも浅野さんも大きな事情がありました。
先代から培ってきた道を、本質を変えずに、時代に合わせて、やり方を変えていくことが大事であると思う。
カメ吉
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