早いものでもう10月。今年も残すところ3ヶ月を切りました。今年は家族に、色々な事情を見せて頂きました。
まず長男が大学受験に失敗。成績は悪くないため、何とかなるだろうと思っていたところ、まさかの結果に落胆。
一番辛い長男に、何と声をかけていいのか悩みましたが、これも全て、神様の御守護・親心の表れと考えると、まずは、成績は悪くないので、うちの子は大丈夫だろうとの慢心な気持ち、高慢な心があった事を、夫婦で反省しました。しかし、この挫折が先の将来、絶対に長男には役立つだろうと思い直し、希望した大学が、親神様の思召と見合っていなかったのだろうと伝え、今後どうしていくのか、次へ進む為にも、まずは、神様に伏せ込ませて頂いた方がいいと、家族で話し合い、5月から修養科に志願させて頂くことにしました。
修養科には、同様に大学受験に失敗した子もおり、また、色々な年代の人達と関わりながら、ひのきしんに勤しむ生活の中で、次は、おぢばで、また教会後継者でもあるので、天理大学へ進学する事に思い至ったようです。
これまでは、お道の勉強も、大学4年間を自由に送ってもらってからでも良いかな?と思っておりましたが、神様の思召は、今こそ、しっかりと教えを身につけて行くことが、長男には必要な道筋なのだと教えてくださっているように思えました。
次は長女が、今年に入り仕事上で悩み、適応障害という節を頂きました。お陰様で、神様の御守護でを8月から休職を頂き、大分以前のように明るさを取り戻して来ました。
ただこの数ヶ月間は、病院から奨学金を借りている事もあり、ただひたすら何とか復帰できるようにと、アパートから教会に帰ってきてもらい、おつとめやひのきしん、神様のお話しをしながら心が軽くなれればと思い、精一杯努めてきましたが、本人からは、「今は神様の話は聞きたくない」と、おつとめも朝は起きれないため、夕方やれる時にやる、食事も食べたい分食べて部屋に戻る状態が続きました。
一生懸命に長女に変わってもらうことばかり考えてましたが、なかなか変わらない…。神様の思いはどこにあるのか?と思案し、これは長女だけの問題ではなく、私の成人も促されているのでは…と思い、長女も仕事で辛い、しんどい、疲れたとよく言ってましたが、私も前会長夫人の介護も増えたため、同じく疲れたと不足している事を思いだしました。
神様は、陽気ぐらしに必要な家族を組み合わせて頂いているとお聞かせ頂いているのに、不足が多くなっていたことにお詫びし、きっと前世では逆の立場で、今世恩返しできるよう組み合わせて頂いていたのだと思えるようになりました。
そうしたら、一ヶ月も過ぎた頃、長女は、今まで自分で何も決めれなかった事を反省し、自分で、今の病院は退職し、新しい就職先を決めてやり直したいと話してくれました。それを聞いて、少し強くなった長女の思いを大切にしたいと思いました。
また今回、休職させて頂いていた事で、満席になっていた長女に、おさづけの拝戴の声がかかってきて、ありがたくも、9/26に用木とならさせて頂きました。あのまま、すぐに仕事に復帰していたら、おさづけの理も、先延ばしだったと思います。
神様は先回りして、長女を用木として成人させてくれるための節だったのだと思いました。
事情・身上の節は、その時にはすぐには喜べなくて、なぜだろう…?と思い悩みますが、全ては、神様の成人させてやろうとの親心なんだと悟らせて頂きました。そして、結果的には、この度の子供達の節を通して、二人の用木を与えていただいた事は、何より幸せでありがたい事でした。
やはり、親の仕込みというのは、目が高くて、先々を見てのご守護なんだと、つくづく思わせて頂く、今日この頃です。
〜アクアマリン〜
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