本日は、段々と冬へと近づいていく中に結構なお日柄をいただいて、皆さんにはそれぞれお忙しい中を、また、コロナウイルスによる影響の中をも、遠近を問わず十一月の月次祭にご参拝をいただき、誠に有難うございました。また、日々はお道の御用の上にご丹精を下さり、誠に有難うございます。
早いもので、今年も残すところ今日を含めると、四十日となりました。あっという間に今日まで来てしまったんだと、時の流れの早さを改めて感じております。私も今月の四日に、お陰様で五十一歳の誕生日を迎えさせていただきました。その日家内と娘と息子にお祝いしてもらい、娘から一言「パパ五十一歳になったんだね。私の友達のパパは、三十三歳とか三十六歳でパパよりぜんぜん若いんだよ。だから、せめて髪を黒く染めてね。」と言われてしまったんです。ですから、今月はこのように髪を黒くして、少しだけ若返りをさせていただきました。
私も歳が五十を過ぎましたので、五十代になったせいなのかわかりませんが、一日の終わりをとても速く感じるようになりました。それでは、歳を重ねるとなぜ時間を速く感じてしまうのか?以前教えてもらったんですが、「ジャネーの法則」という仮説がありまして、「感じられる時間の長さは、年齢と反比例的な関係にある。」というものでした。それは、「同じ一年であっても、十歳の子供にとっては人生の十分の一であり、六〇歳の大人にとっては六〇分の一です。年齢に対する比が小さいほど時間が短く感じられるので、加齢によって時間が短く感じられるようになる。」という訳でした。今年も残すところ四十日となりました。「時は金なり」と聞かせていただきますので、残りの日々を時間を無駄にしないように、有効活用をして通らせていただきたいと思います。
話は少し変わりますが、先日きやま講の信者さんがうちの子供達が通う、笠原小学校の開校百年を記念してつくられた冊子を、私のもとに持ってきてくれました。この冊子は昭和四十九年に発行されたもので、小学校の百年の歴史が写真付きでまとめられたものでした。そして、その中に私の曽祖父城山の初代会長さんが、明治二十一年四月一日~二十四年十月三十日までの三年半の間、校長としてつとめられたと写真付きで載せてあったのです。そして、それだけでなく昭和十六年太平洋戦争が勃発して、昭和二十年都市への空爆が激しくなり、都市から疎開児童が増えたことから分散教室が設置され、お寺や天理教の教会が分散教育の場になっていたと、当時の城山の教会が写真付きでありました。このように、城山の初代会長さんが教育の場でご活躍されていたこと、城山の教会が分散教育の場として貢献されていたことを改めて知り、有難く感激をしました。
当時城山の教会は、今も申しましたように分散教育の場になっていましたが、その時代の大変だった苦労の様子が書かれてありましたので、ここで少し読ませていただきます。「昭和二十年になると、都市の空爆が激しくなり、笠原へも疎開児童が連日転入して来るようになった。私の組も十人十五人と増え教室はすし詰め、教室を巡視できない程になっていった。この中には親元を遠く離れた淋しさを訴える子が何人かいた。しかし、私は放課後暗くなるまで遊んでやったり、日記や作文に、慰めや励ましの言葉を書いてやるほかには何もできなかった。
学徒出陣や学徒動員が行われている決戦下では、国民学校の子供といえども授業どころではなかった。運動場は防空壕だらけ、花壇には芋・豆・カボチャを作り、毎日茶の実拾い、くず鉄集め、すすきの穂切り等に精を出した。連日本土へ侵入するB29、沖縄への敵軍上陸次々に敗戦の色こい悲報を耳にする時、私共教師は、子供達と共に立派に死ぬことしか考えないようになっていた。
やがて、お寺や天理教の教会を借りて分散教育。そして、夏休みに入るとまもなく八月十五日の終戦。九月教室にもどった子供達は、敗戦の悲しみをも、再びもどった平和の喜びをも、表わすすべを知らないままに、無心に遊び、墨でところどころぬり消された教科書でひたむきに勉強をした。今までうばいとられていた幸せをやっととりもどしたかのように。「戦いは二度としてくれるな。」と大人たちに訴えるかのように・・・・・。」と、このようにありました。
私は高度成長期に生まれて、国がどんどん便利で豊かになっていく時代で育ちましたので、何の苦労もなく楽しかった思い出ばかりです。しかし、この時代の人達が、お金や物に恵まれない時代に戦争があって、あすの命もわからなかれば教育もままならない中を、命がけで生きてこられたことを改めて知り、自分がどれだけ恵まれた結構の中で生まれ育ったのかを、深く思い知らされました。そして、この時代の人達の言葉に言い尽くせないご苦労のお蔭の上に、今日の国や私達が結構にあるのだと痛感致しました。
現在もコロナウイルスの影響があり何かと不自由はありますが、それでも戦争の時代と比べれば大難を小難にして下さっている、有難い姿だと思います。しかし、そうした中でも感謝することよりも不足が先に立ち、先案じばかりしているお互いではないでしょうか。私達はコロナウイルスの節から、今まで当たり前のようにしてきたことができなくなり、当たり前のようにしてきたことが当たり前ではないことに気付くことができ、そのことに感謝することを学ばせてもらいました。ですから、今一度このことを心にお誓いをし、今のこの不自由の中でも自ら喜びを見つけて、感謝して通らせていただきたいと思います。
最後になりますが、祭文でも申し上げましたように、大教会創立百三十周年記念祭まで残すところ二年となりました。城山につながる皆さんには、これまでたくさんのお力添えをいただきました。今年一月に記念祭が打ち出されてから皆さんそれぞれに、この旬にこんな教会の姿をご守護いただきたい、こんな家庭になりたい、こんな自分になりたいと、自分で思い描いた目標を定められ今日まで来られたと思います。今一度これまでの歩み方を振り返り、この旬を追い風にして、自分の思い描いた目標が現実となれるご守護をいただけるように、勇んでつとめさせていただきたいと思います。本日は誠に有難うございました。
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