「ありがとうの循環を」とのスローガンを大教会からお打ち出しいただき、今年はじめから努めて「ありがとう」と言うようにしています。言葉の安売りではないのですが、「ありがとう」を連発しすぎて、八割は心がこもっていないなあ、形だけだなあ、と反省することも多々。
そろそろ反抗期を越えたかなと感じる高校2年生の次男に、ある時話しかけた時、小声で「ありがとう」言っているのがふと聞こえました。
おや?今まで何故気がつかなかったんだろう…。反抗期等々のレッテルの壁を私が勝手に作って、人の「感謝」を遮断していたのかもしれない…。
親や妻に対しても。感謝の思いを言葉にしようと決めたことが、次男の小声に、人様からの感謝に気付くきっかけになったように思います。
それ以来、次男からの時折の「ありがとう」が心地良く心に響いて、有難く嬉しい日々を通らせていただいています。
過去・現在・未来に「ありがとう」ともお示し下さいます。両親があって自分があり、妻がいてくれて、子供たち孫たちと出会えた。「ありがとう」をたくさん探して、喜びの日々を過ごして参りたいと思います。
はまぎく
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